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2015年10月

2015年10月19日 (月)

10月17日(土) Diwali in Yokohama 2015 1日目 イベントレポート

日時:1017日(土)10001930

場所:横浜市山下公園「お祭り広場」

目的:チャリティーグッズ販売を通じてJTEF保護活動を一般の方々にもご紹介する


 昨年に引き続きJTEFDiwali in Yokohamaに出店をさせて頂く事となりまし20151017diwali1_5 た。Diwali フェスティバルは2003年に始まり今年で13回目です。

横浜市との共同開催は、横浜市のインド商工会議所やコミュニティを中心として毎年開催されてきました。

そして、今年はムンバイと横浜市の姉妹都市締結より50年の節目を迎える記念の年です。現在話題のポリウッドダンスやインド映画紹介、本場インドグルメ、インド雑貨、等々、山下公園ではインド一色となりました。

※写真のグレートデン君は72kgもあります。大きいです。

17日(土)午前中は小雨交じりの冬めいたとても寒いお天気でした。午後からは徐々に回復し午後には青空が見えてきました。

18日(日)早朝は曇りがちでしたが、日中には暑い位の晴天に変わりました。

お天気具合に比例しDiwaliイベント来場者は土曜日よりは日曜日が多く、それに伴い日曜日にはより多くのお客様がJTEFブースにお立ち寄り下さいました。

 

ブースはお祭り公園入口の近くに設置されました。左隣が本部運営ブース、右隣が女性の地位向上を支援するNPOブース。

NPOブースでは、インドで現地女性達が制作したゾウモチーフの可愛い雑貨類、天然石のアクセサリー、ストール等を販売していました。

インドではゾウは神様に崇められている存在です。ブースに並べられた雑貨類を見るにつけ、ゾウに対する篤い信仰がインド社会に行き渡っている事を実感しました。

 

11時半からのイベントオープニングセレモニーを待つ間、インド大使館の一等書記20151017diwali11_3 官のムアンプイ・サイオイ氏がブースを訪れました。

JTEFとインド大使館とは深く長いお付き合いをさせて頂いています。昨年度はインド大使がブースにお立ち寄りになられました。

現在、大使交替の時期と重なっている為、今年はインド大使代の名代として一等書記官がお見えになられました。



また、とても可愛らしいお客様達もお見えになりました。トラが大好き!という男20151017diwali2_4 の子とそのご家族でした。

小さなトラのぬいぐるみをパーカーに入れていらっしゃったご様子に皆でほっこりとさせて頂きました(*’▽’)

本当に愛らしい!ぬいぐるみを入れていれば少しは暖かかったのかな?やはり日本人はゾウよりトラの方に人気があるのかと改めて思いました。

将来はJTEFトラ大使になられて下さい!またお会いするのをスタッフ一同心より楽しみにしています!

 

オープニングセレモニーは、イベントお世話役実行委員長はインド人で帰化された比良竜虎氏、

駐日インド大使ディーバ・ゴバラン・ワドワ氏、インド大使館一等秘書官ムアンプイ・サイオイ氏、横浜市副市長柏崎氏のご臨席の元執り行われました。

三年間半に渡る駐在を終えて本国に帰国する大使には横浜に対する特別な思いがあったようにも見えました。

 

「横浜港開港以来、横浜市とインドの結びつきが始まりました。開港直後、他の外20151017diwali3_3 国商人に先んじて最初にインド商人の会社や商社が横浜に設立されました。

その後は日印貿易の拡大と経済発展に伴い横浜にインド商工会議所が設立されました。それに伴ってインドコミュニティが徐々に形成されていきました。

関東大震災後、第二次世界大戦後には両国には大変難しい時期もありましたが、それらの困難を乗り越えて横浜市とインドは約1世紀に渡る交流を続けてきました。

今年秋にはムンバイ市に横浜市駐在員事務所が開設されます。横浜インド交流の50年を迎える節目の今年、より多くの人達がインドに親近感を持って頂きたいと思います」との事です。

 

今回のDiwaliには福島県双葉町埼玉支部の方々もパフォーマンスをご披露されるとのお知らせがありました。

 セレモニーの後は、戸川理事、坂元事務局長理事も含めてJTEFブース皆でお立ち寄りの方々への対応をさせて頂いきました。

この場をお借りして、今回へお立ち寄り頂きました皆様お一人お一人に心より御礼を申し上げます。

 お家に飾るとおっしゃってトラ絵本をご購入されたおじ様もいらっしゃいました。

ヤマネコパトロール隊にご興味を持たれてパトロールTシャツをご購入された奥様もいらっしゃいました(お荷物になってしまったようで申し訳ございませんでした)。

ブース奥の壁に掛かったJTEFロゴのTシャツをお求めになられた奥様もいらっしゃいました。

ご家族お一人一人ずつトラTシャツをお求め下さったご家族もいらっしゃいました。サイのピンクTシャツとカードを買われた美人さんもいらっしゃいました。



お隣ブースの本部運営のインド人の愛らしい受付嬢さんはカードをお求めになって20151017diwali4_4 下さいました。

 ところが!!カードに書いてあるスワヒリ語は誰も分からない(涙)なんという不

勉強(号泣)・・・・そして、

不甲斐ない私達に代わってカードの文言をお知り合いの方にわざわざ聞いて来て下いました!感謝感激!

「Elephant under the tree」の意味だそうです。


そして、2度目のご来訪となるお客様もいらっしゃいました。来年もまた来て下さるとの事、

1年後にはよい良いご報告できるよう明日からまた精一杯頑張ります!そして1年後にお会する事を心よりお待ち申し上げております。


 南インドで教育支援を行われているインドのNGOの方もお立ち寄り下さいました。「とてもよい活動をされていますね」とおっしゃって下さいました。

本国の方にもご理解を頂けているようでとても嬉しくなりました。ご連絡を頂けるとの事、楽しみに待っています!

 お立ち寄りの方々と会話させて頂いてとても嬉しかったです。皆様の暖かいお気持ちを確実に現地に届けます。


* ご寄附とチャリティグッズの売り上げは以下のグループにお渡しします。

WTI インド野生生物トラストのホームページ:http://wti.org.in/Default.aspx

イリオモテヤマネコパトロール隊:http://www.jtef.jp/yamaneko50thanniv/about_2.html#betu4

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10月18日(日) Diwali in Yokohama 2015 2日目 イベントレポート

日時:1018日(日)10001930

場所:横浜市山下公園「お祭り広場」

目的:チャリティーグッズ販売を通じてJTEF保護活動を広く一般の方々にご紹介する

 

昨日に引き続きブースでの対応を行いました。Diwaliイベント二日目、お天気に恵まれて大変な人出となりました。

 朝から他ブースの男の子がJTEFに遊びに来ました。お蔭様でとても賑やかな二日目のスタートとなりました。お昼の時間帯はインド料理の各店は長打の列、且つ会場設置のテーブルでは来場者は座る席を見つけるのが難しい程込み合っていました。JTEFFスタッフは食べる場所が見当たらずブース内でのクイックランチとなりました。

本日もまた多くの皆様がJTEFブースへお立ち寄り頂きました。

この場をお借りして、お立ち寄り頂きました皆様お一人お一人に心より御礼を申し上げます。

今回二回目のご来訪の方々もいらっしゃいました。わざわざTシャツを着ていらっしゃって下さって本当に有難うございます。お会いできて光栄でした。現地で活動されている方々のコミュニティからのブックマークにもご興味をお持ち下さって有難うございます。是非来年も遊びにいらっしゃって下さい!

 

今日は可愛いワンちゃん達もブースの中まで来て下さいました。インドネシアのオ20151017diwali5 ラウータン保護活動団体をご支援されている奥様とご一緒でした。奥様はキリマンジャロにも行かれたそうです。そんなお話をお伺いすると、私もケニアでゾウさん達に会ってみたいなぁ!と強く思いました。ブース内の展示パネルのトラ情報を細かにお尋ね頂いた方もいらっしゃいました。お近くにお住まいとの事、また来年もお立ち寄り下さいませ。一年後よいご報告ができるよう精一杯頑張ります。

 

サイズが無くご所望されたTシャツをお渡しする事ができなかったご夫婦もいらっしゃいました。結のオンラインショッピングサイトで無事にご購入ができましたでしょうか

とても不安になっています。ご購入できなかったのであれば、お手数でもご連絡を下さいませ。改めてご郵送させて頂きます(e-mail: pr_marketing@jtef.jp)。グッズは不要だが、寄付のみ行いたいという奥様も来られました。

 お立ち寄りの方々と会話させて頂いてとても嬉しかったです。もっとお話がしたかったですが、次回の機会にまたお会いできる事を今から楽しみにしています。

今後もJTEFの活動を見守っていて下さい。

皆様の暖かいお気持ちを確実に現地に届けます。


ご寄附とチャリティグッズの売り上げは以下のグループにお渡しします。

WTI インド野生生物トラストのホームページ:http://wti.org.in/Default.aspx

イリオモテヤマネコパトロール隊:http://www.jtef.jp/yamaneko50thanniv/about_2.html#betu4

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2015年10月15日 (木)

10月12日(月) 上野動物園 トラ大使 イベントレポート

Photo15日時: 10月12日(月)13:00~
場所: 上野動物園 東園トラ舎
天気: 晴れ(Max 22℃/Min 18℃)

10月3連休最終日は朝から日本晴れの晴天となりました。家族連れや観光客を中心にして上野動物園では大勢の人達が行楽を楽しんでいました(入園者数は約2万人位との事でした)

13時過ぎに東園総合案内所前にトラ大使、上野動物園スタッフの皆さん、そしてJTEF坂元事務局長理事が集合しました。トラ大使の3名はゆいちゃん、たいちくん、あめちゃん。今回はトラ大使として最後のパンフレット配布が目的でした。

13:15~13:35: トラ大使作戦会議Photo8

配布の前に東園総合案内所2階会議室で作戦会議を行いました。皆で決めたルールは以下となりました。過去にもパンフレットをお披露目している3人です。しかも動物園のスタッフの方々とはすっかり仲良しで意志疎通もバッチリ。終始リラックスムードの中、作戦会議でも活発な意見が飛び交いました。

1) 配布枚数制限無し。
2) パンフレットを配るだけではなく、必ずトラの説明をする。
3) 説明に使う言葉は「トラが減っている」「今トラはピンチです(絶滅危惧種)」
4) ゆいちゃんは年配の方、たいちくんは大人、あめちゃんは子供をターゲットに配布する。
5) 二回目配布に向けては現地トラ舎付近で作戦会議を行う。案内所には戻って来ない。Photo91

JTEFポスター以外にも、上野動物園のスタッフが作成して下さったとても綺麗な説明マップ「スマトラトラの島の今で起こっている」もトラ舎に張り出す事になりました。マップにはこれまでのワークショップの中を通じて自分達で一生懸命に考えた事や議論した事が漏れなく記載されていました。勉強成果がここにも反映されています。

今回の最終配布に合わせてわざわざご準備を頂きました上野動物園スタッフの皆様の細かな配慮に感謝感激です!どうもありがとうございました!お疲れ様でした!

トラ大使旗はタスキを掛けてトラ舎に出発しました。園内は大変な人出でトラ舎も大変賑わっていました。トラ舎に到着をするとマップの張り出しを行いました。第一回の準備が整い、トラ大使が登場しました。

13:40-15:00 パンフレット配布 (小休止あり)Dsc_00971

トラ大使は作戦内容に沿ってパンフレットを配布しました。持ち場はトラ舎の出口付近、トラ舎から絶え間なく出てくる人達の流れの中、お声掛けをしました。そして、足を止めて下さった方々に対して3人はしっかりと説明を行いました。

パンフレットをお渡しした方々には「え?これ貰っていいの?」という声が多かったようでPhoto13


す。こんなにも綺麗なパンフレットを無料で貰えるとは思っていなかったのでしょう。ご家族(赤ちゃんも)、カップル、ご夫婦、と色んな方々にお渡しする事ができました。

パンフレット配布の合間を利用して、トラ大使は自身の勉強の中で生まれたポスターの前に立ち、トラ舎へご来場の皆様へ以下の説明を行いました。皆様より自然発生的に大きな拍手が沸き起こった程の堂々としたプレゼンテーションでした。さすがはトラ大使!
(*´∀`*)

・ 上野動物園のトラ飼育担当が担当している牡トラ(♂)のケアヒについてPhoto2



・ 現在トラが危機にあること
・ 現在スマトラ島のトラは、油やしプランテーション開発や人々の暮らしによって徐々に追い詰められていること
・ 油やしから作られるパーム油(植物油)は私達日本人も日常的に使用している為、トラやスマトラ島の森の保全には無関係では無いこと

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10月10日(土) 井の頭公園 ヤマネコ祭 ミニ講演 戸川久美先生

Dsc_0087 講師:

戸川久美

JTEFトラゾウ保護基金 理事長

 

 プロフィール:

1997年よりNGOにてトラ保護、ゾウ保護の為の活動に参加。より積極的に保護活動を展開したいという思いより2009年にJTEFトラゾウ保護基金を新設、現在に至る。

 

 講演内容: 「イリオモテヤマネコ発見50年これからの50年」

 

今回のミニ講演では、イリオモテヤマネコの発見までの略史、保護保全活動、将来へ提言を中心にお話を進めました。 午前中の羽山先生の講演に引き続いて会場はほぼ満員でした(50名~60名)。 

 

1. イリオモテヤマネコ発見までの略史:

 

戸川幸夫氏によるイリオモテヤマネコ発見経緯詳細は以下Wikipediaをご参考下さい。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%AA%E3%82%AA%E3%83%A2%E3%83%86%E3%83%A4%E3%83%9E%E3%83%8D%E3%82%B3#.E7.99.BA.E8.A6.8B.E3.81.AE.E7.B5.8C.E7.B7.AF

 

今回のミニ講演では以下内容にも言及しました。

 

19653月: 戸川幸夫氏が獲得したイリオモテヤマネコの一つの頭蓋骨と2枚の毛皮が日本哺乳動物学会(現:日本哺乳類学会)で精査された。哺乳類としては20世紀で初めての発見として国内外の注目を浴びるようになりました。

 

1965415日: 西表島ではヤマネコ発見の日として快挙を祝しました。

 

196555日: 大原学校でイリオモテヤマネコが捕獲されましたがその後すぐに死亡してしまいました。イノシシ狩りで傷ついていたようでした。毛皮はホルマリン漬け骨は土に埋めて戸川氏が引き取りに来るまで大原小学校に大事に保管されていました。その時対応して下さったのは島袋先生でした。(ビギンの島袋君のお父様)。

 

1967年~1969年: 1967年にやっとイリオモテヤマネコが生きたまま捕獲されました。オスとメスの二匹です。国立科学博物館に移管されるまで2年間の長きに渡って戸川家で飼育しました。

 

天然記念物且つ絶滅危惧種の野生動物を自宅で飼育しながら生態観察も行ったご家庭は日本国内では戸川家だけと思います。野生だけにイリオモテヤマネコの臭いは強烈であった。愛情を注いだ手厚い飼育により南国育ちのネコであっても二年間の間に雪にも慣れた。戸川氏がヤマネコの為に準備した生餌のヒヨコが忍びなく学校で友人に分けた、等々・・実際に身近で体験した人でなければ決して分からないお話をしました。

 

1972: 沖縄が本土に復帰、イリオモテヤマネコは国の天然記念物になりました。

 

1973: 1969年から着工していた西表島の東部と西部を横断する道路の建設が中止になりました。この頃から自然保護か島の開発か?という現在に続く問題が島民の間で取り沙汰されるようになりました。そのような折、エジンバラ公(現イギリス女王のご夫君)からイリオモテヤマネコ保護に関する親書(注1)が皇太子(現 平成天皇)に届けられました。これにより日本政府は西表島を鳥獣保護区に指定しようとしました。しかし、当時は島の経済活動をより重要視するべきと考える住民の猛反対に遭って実現しませんでした。鳥獣保護区(国立公園)となったのはそれから13年後でした。

注1 新書の内容:「西表島は狭すぎ、全生態系は脆弱で数百人以上との共存は不可能」

 

1972年を境とし、イリオモテヤマネコ発見者の戸川氏と島民のご縁は一旦切れてしまいます。それから約30年間余「保護」と言えば島民から怒られるような状況が続きました。ヤマネコのために自然を保護すれば道路工事の中断などが起こり人間の暮らしの発展が遅れてしまうため、人間とヤマネコどちらが大事なのかという怒りを住民達は持っていました。

 

2007年~: その後は地道に地域との関係を再構築しながら、やっと島民の理解が得られるようになりました。島民の皆様の協力と理解を得て、現在JTEFではヤマネコパトロール隊、授業による啓蒙活動、島内の環境保護保全活動を進めています。

 

2. 保護保全活動:

 

イリオモテヤマネコ保護保全を行う為、西表島現地でヤマネコパトロール隊が活動をしています。ロードキルで死亡するイリオモテヤマネコを一匹でも減らす為に夜間パトロールを実施しています(夜間時間帯1930-2230)。島民、観光客、バス等ドライバーに対してスピード抑止の警告を発します。同時にイリオモテヤマネコが道路に飛び出さないように注意を促しつつ、路上で見つけたら路上からの排除も行います。(以前として西表島ではイリオモテヤマネコの死亡事故の方が人間よりも多いのには驚きです)

 

パトロール隊は20名ほど全てが島民の皆様です。仕事の合間をぬって、ご家族、カップルなどで、精力的に活動されています。

 

走行中の車両スピードはスピードガンで測定をしています。 これまでパトロール隊が蓄積したデータによると、スピードを出すのはレンタカーではなく地元車が多いとの事です。また、道路沿いで子育てをした母ネコがおり(道路上の死骸を食して)その後その子供達が道路に出てくる傾向があるのかもしれない、との事です。

 

3.将来への提言:

 

観光客がこれ以上増加した場合、イリオモテヤマネコの保護保全はどうするか?イリオモテヤマネコは自然の中で見てもらうのが一番良いが、ナイトツアー等がヤマネコにとってストレスにならない事、ヤマネコが生息する生態系を破壊しない事、という条件付きとなろう。それらをどうやって担保できるのか?今後も島民、自治体、全ての関係機関を含めて更に熟考が必要と思えます。

 

4.参加者からのQ&A

 

イリオモテヤマネコの生態に関する質問を受けました。Photo3_2


 

 基本的に何でも食べます。ウリボウ、ヘビ、カニ、魚、エビ、コウロギ、カエル等、総じて肉食。ハブは毒素を省いて食します。 尚、西表島にはマングースはいません。

 イリオモテヤマネコは、カワウソのように尻尾を基軸にして泳ぐそうです。

講演で使用したスライドです。ご覧ください

http://www.slideshare.net/pr_marketing/20151010inogashira-iriomoteleopardcat-presentation

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10月10日(土) 井の頭公園 ヤマネコ祭 ミニ講演 羽山伸一先生

Photo1_3 講師:

  羽山伸一(はやましんいち)先生 

日本獣医生命科学大学 獣医学部 野生動物学教授

 

 プロフィール:

 

 専門分野:

野生動物学

 

・ 主な著書:

  「野生動物救護ハンドブック」、文永堂出版 (1996年、共編著)
  「野生動物問題」、地人書館(2001年、単著)
  「野生との共存~行動する動物園と大学」羽山・土居・成島編、地人書館(2012年、共著)
  「野生動物管理~理論と技術」羽山・鈴木・梶・三浦編、文永堂出版(2012年、共著)

・ 学会活動:

 日本獣医学会 評議員 / 日本野生動物医学会 評議員 / 「野生生物と社会」学会 理事

・ 主な社会的活動


環境省・中央環境審議会・専門委員

   環境省・ゼニガタアザラシ科学委員会・委員長

   神奈川県・自然環境保全審議会・委員

 主なNPO活動

特定非営利活動法人・どうぶつたちの病院・副理事長
公益財団法人・日本動物愛護協会・学術顧 / JTEFトラゾウ保護基金 理事

 

 ヤマネコ祭りについて(主催者):

 

今回は第4回目の開催となりました。2009年に初回スタート、その後は2010年、2014年と続き、今年はイリオモテヤマネコ発見50年の年に当たる為、イリオモテヤマネコのミニ講演も組み込む事となりました。

 

 講義内容: 「離島の希少動物たち」

 

1. 島の生物相の特徴

 

(1) 島の生い立ちに関わる影響

 

2015年現在、日本には6852の島があり、その中の400の島が有人です。島の定義を「周囲が100メートル以上」とした場合の集計数字です。これらの島々の生成に影響する地史は以下に分類されます。

 

 海洋島

 陸橋

 巨大噴火

 

 海洋島: 

伊豆諸島、小笠原諸島、南大東島が海洋島に分類されます。過去の歴史の中で一度も陸地に接触したことが無い島々です。陸から離れている為に、昔は鳥類のみが島間で往来をして哺乳類はいませんでした。

 

 陸橋:

日本列島は地形が複雑で、大陸や国内の島間をつなぐ陸橋が氷期に形成され、そして氷期に消えることを繰り返しました。その為、日本の生物の分布は氷期-間氷期サイクルに伴って北上と南下を繰り返しました。氷期に形成される陸橋を通じた大陸からの移入や国内の島間の移動が活発でした。

 

(南西諸島の動物相)

 

南西諸島は、約150 万年前には台湾を経由して大陸と接続していたと考えられています。既にこの時期には海峡が成立し、本土とは分断されていました。 その後は、本土との接続がないまま、地殻変動や海水面の変化によって次第に島嶼化して現在に至っています。 接続していた更新世前期には主に南方系の動物が多く渡来したと考えられています。その後の島嶼化にともない、絶滅と分化の過程を経て、大陸とも本土とも異なる固有な動物相が形成されていきました。

 

(日本本土の動物相)

 

本土は大陸との接続と分離を繰り返していました。最後の接続は約2 万年前、サハリン方面と朝鮮半島方面とに陸橋が成立していたと考えられています。その後、徐々に海水面が上昇して現在に至っています。この氷期最盛期には、既に渡来して定着していた動物群に加えて、朝鮮半島経由或はサハリン経由で動物群が分布を広げたと考えられています。その後、海水面の上昇により朝鮮海峡、津軽海峡、対馬海峡、宗谷海峡の順に陸橋が切断され、大陸との近縁性を残しつつも、固有種への分化が進んで現在の動物相が形成されました。

 

 巨大噴火

 

巨大噴火は多くの生物及びその生息地を破壊します。約700万年前に九州で発生した火山噴火の連鎖は屋久島にも到達して屋久島は焼き尽くされました。然しながら、そのような受難の時期を経て屋久島杉に象徴される独特の生物相が形成されました。太古の時代より今日まで屋久島杉が残った理由は、島には人間と猿と鹿が存在し続けたからです。

 

(2) 島の面積の影響

 

島の生い立ちとその面積(大小)は密接な関係があることは古くから指摘されて来ました。最近の研究では、島面積が小さくなれば小さくなるほど生息している種の個体数が少なり、一方で絶滅危惧種の種類が多くなる事が分かっています。 離島に暮らす絶滅危惧種を保護保全するという事は、離島全体の生態系を守る事と不可分ではありません。

 

(最新研究による)               離島に生息する日本産絶滅危惧種数

                               
 

分類群

 
 

絶滅種

 
 

絶滅危惧種

 
 

IA

 
 

IB

 
 

II

 
 

哺乳類

 
 

4(2)

 
 

1510

 
 

2011

 
 

7(0)

 
 

鳥類

 
 

1310

 
 

216

 
 

3211

 
 

39(3)

 

カッコ内が離島に生息する種数

 

2. 離島における希少動物の課題

 

(1) 外来種の問題

(2) 動物医療

(3) 人口減少に伴う担い手の不足

 

(1) 外来種の問題

 

人間の活動を通じて日本に入ってきたものが多く存在しています。 最近ではアライグマが秋葉原に現れて混乱を起こしました。外来種の中で、地域の自然環境に大きな影響を与え、これまでの生物多様性を脅かす恐れがある物がいます。具体的な例として、沖縄本島や奄美大島に持ち込まれたマングースです。100年前に島内に増えたネズミ退治の為に島民が持ち込みました。 ヤンバルクイナはこれまで見たこともないマングースを全く警戒しなかったのは当然とは言え、マングースはヤンバルクイナにとって捕食者となりました。その結果、ヤンバルクイナの個体数は激減、今は絶滅危惧種です。

 

ツシマヤマネコの脅威となったのは、島に持ち込まれたネコです。ツシマヤマネコとそれらのネコが喧嘩をする事によってネコの病気がツシマヤマネコに移ります(猫由来のHIVエイズウイルスです)。ネコに対しての全く免疫を持っていなかったツシマヤマネコは激減しました。自分を自分で守る術を持っていなかったのです。

 

この対馬の状況(不名誉な事ではありますが)家ネコからヤマネコに感染した事例としては世界初でした。また、IUCNI外来種データベースによると、野生化した家ネコによる生態系へダメージ影響は世界各地で報告されており、根絶対策が実施されている割合はまだ大変に低いという現状となっています。

 

(2) 動物医療

 

動物保護には、外来種との接触によって引き起こされる想定外の事態を想定、念入りに事前に対策を打つ必要があります。また、怪我をした動物は迅速に救命する必要があります。その為、NPOどうぶつ達の病院が設立、野生動物の保護及び飼育動物の適正飼養に関する情報提供や啓発活動を行っています。

 

ツシマヤマネコ(長崎県対馬市)とイリオモテヤマネコ(沖縄県竹富町)を絶滅から救うため、九州・沖縄地域の獣医師会で構成される九州地区獣医師会連合会がヤマネコ保護協議会を設置し、避妊去勢無料手術やマイクロチップによる個体登録などの活動を開始しました。その後、市行政とも連携、結果として家ネコ/野良ネコを管理する条例が制定されました。家で猫を飼う場合、飼い主は届け出を行い獣医師による飼指導/不妊手術/ICチップ埋め込みが義務化されました。一方で、飼い主のいない島内の野良猫の捕獲/保護収容を行いました。この結果、ICチップの無い猫は捕らえる事が可能となりました。その結果、現在までにいずれに市町村共に島内の身元不明の猫は0匹となっているとの事です。家ネコ/野良ネコ対策はほぼ完全に実施されている状態にまで到達しています。

 

(動物病院)

 

ヤンバルクイナの生息地は沖縄本島の北部に集中しているにも関わらず、名護市より以北には動物病院は1件しかありません。本島の動物病院は南部だけ、と言って良い状況です。保護にはヤンバルクイナ生息地域に至急病院を建てる必要がありました。

 

そこで、もう使われていなかった保育園を病院に改装して治療を始めました。古い保育園でしたので外壁にペンキを塗った所、思いも寄らぬほど可愛い病院に変身しました。西表島ではかつてのJAバンクを改装して病院として運営されています。

 

(3) 人口減少に伴う担い手の不足

 

「人間がいなくなると環境が劣化する」理由は、希少動物の生息地は人間とその活動と共存している為です。

 

・  地域の人達が離農をして田んぼが作れなくなると、田んぼに依存しているツシマヤマネコ(田んぼは私のレストラン♪)は生存が脅かせられる事になります(*)。 田んぼに人がいなくなるとツシマヤマネコは危機に陥ります。 (*) 地元ではツシマヤマネコは「たねこ」と呼ばれることもあります。

 

 地域の人達が狩猟を辞めた事によってツシマシカの数が増加しつつあります。鹿は森林に取って大変大きな影響を与える動物です(森を食べ荒らす)今は1万頭位に増加しています。然しながら、鹿を打つ地元のハンターは100人も居ない状態です。 

 

このような状況下では、ツシマヤマネコの生息地状況は劣化の一途を辿っています。対策として、シカに食べられないようにネットを張って森の一部の保護を行い(*)、一方でどんぐりから育てた森を育てています。然し、個体数は増加していないのが現状です。個体を少しでも増やす為、対馬野生生物保護ターでは、啓蒙活動はもとより保護されたヤマネコを再び野生に帰すために様々な治療やリハビリなどを行っています。動物保護病院としては世界最大規模のセンターです。

 

*)ツシマヤマネコの餌場を確保する取り組みとして、ツシマシカは入ることができずネズミやツシマヤマネコは入ることができる空間にネットを張っています。するとネット内は草が生い茂りネズミなどが生息するようになって、ツシマヤマネコの良い餌場となるからです。

 

 

3. まとめ

野生動物と自然環境は不可分のものです。そして、公共工事ではなく、野生動物と自然環境を維持する為にこそお金を使う国にならなくてはならないと考えます。

 

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